「馬手差」は、「めてざし」と呼びますが、通常は左の腰にさす腰刀を、右側にあえてさす腰刀を言うそうです。戦いの場での使い勝手からこのような右にさす腰刀が登場したようですが、時代や戦い方の変化によって、日本刀の姿は変幻自裁に変化を遂げております。「馬手差」のように、本来は左側の腰刀として使われるものを、あえて右側の腰刀として使用する背景にはその時代を生きた人々の都合や理由があるようなのです。日本刀は時代の中で、時として神具であったり、場合によっては武器であったり、帯刀するのもの権力を誇示する道具であったりもするようです。平安時代の後半では、武士たちが自分たちの権力を保持するために、より大きな武器を求めていたことから長さのある日本刀が流行となっていったようです。戦国時代のように合戦が繰り広げられるなかでは、お飾りのような長い日本刀では、戦力としては武器にはならないため、より実用的なものなどが求められはじめ、そのような流れのなかで、敵となる相手方の兵士たちの身を守る鎧を突き抜けるような短刀が登場したと考えられているようです。「鎧通し」などと呼ばれ、強靭な鎧をを突き抜けられるような短く強度のある短刀がつくられたようです。「馬手差」は、右手で短刀を抜く際に、左腰まで腕を伸ばすの距離を省くために、あえて右腰に短刀をさすことで実用性や俊敏性を兼ねスタイルが生まれたことをあらわしているようなのです。