吉川朝孝は鹿島新当流を創り、名乗りを「塚原卜伝」とした。生涯において「真剣勝負19回、戦働き37回、一度も不覚を取らず矢傷6ヶ所のみ傷一つなし、立ち合いで敵を討ち取ること212人」との伝説が残っている。香取神道流の始祖飯篠家直は、下総国香取郡飯篠村の郷士出身である。
幼い頃から武術に優れていたらしい。ある日、従者が香取神宮の神井で馬を洗ったところ、突如として苦しみだし人馬ともに死んでしまった。家直は、香取神宮の主祭神、経津主大神のご真意と受け止め、千日千夜の大願を発起し修行に務めた。
すると、「汝、後に天下剣客の師とならん」との託宣と兵法神書一巻が降され、香取神道流を創設した。大和朝廷の蝦夷平定の北辺の守りの地、鹿島神宮、香取神宮から日本剣術の二大源流が生まれたことは、時代の必然であったのだろう。