天皇家には「三種の神器」と呼ばれ、永く伝え守られてきたものがあると言われているのは有名な話なのではないでしょうか。その「三種の神器」の一つが、刀剣であり「草那芸之大刀」がそれに当たると言われているのも有名な話でしょう。この剣は「八思鏡」「八尺理勾玉」と共に、遥か昔より皇位継承の証となっているようです。
しかし、天皇家にはこの「三種の神器」のほかにも、皇太子が立太子された証として授けられる剣があると言われているようです。それは、名を「査切御剣」と言い、剣の授与は、かつて時の帝であった宇多天皇が敦仁親王の立太子の際、太政大臣であった藤原基経から献上された刀を授けたというのがはじまりであるとされており、この事から慣例化されたとされています。その後、この剣の継承なしに立太子することは不可能になったとされるほど重要な剣と言われているようです。この事実は、後一条天皇が敦明親王を皇太子に立てた際、左大臣であった藤原道長が、皇太子の母が藤原氏出身の女性ではないという理由から「壷切御剣」の献上を拒否したことにうかがえるようです。天皇の外戚として、権力の独占を企んでいた道長にとって、藤原氏と姻戚関係のない天皇の誕生は歓迎できなかったとされているようです。現存している「査切御剣」は実は2代目とされており、初代は、その昔、宮廷火災で失われたとされているようです。そのあと、藤原教通に献上されたものが、2代目として受け継がれていると言われています。この2代目も、火災による損傷などを受けながらも、現在にいたっているとされているが、当然公開厳禁の宝物とされているため、どういった形状なのかといった詳細などは不明であるようです。