現代の日本刀を作る刀工は、その日本刀を何月に作ったとしても「二月日」と「八月日」のどちらかを年紀として記しています。そして、日本刀の柄の中の形である茎には、前年の十一月や十二月に焼き入れをしたとしても、当然のように「二月日」という彫を入れるのです。では、なぜ「二月日」と「八月日」と記すのかということを考えていきます。まず、江戸時代の末期に活躍していたと考えられ、現代で一番人気のある名工がいます。その名工の日本刀には、ほとんどに「二月日」や「八月日」と記されています。その時代の名工がつくった日本刀にも、多少例外はありますが「二月吉祥日」や「八月吉祥日」のように二月と八月が記されています。また、それ以前の時代では、神社へ奉納するような日本刀には正式に作られた年月日にちが記されている場合があります。そのような特別な記念のために作られた日本刀以外の一般的なものは、二月と八月を記したものが多いと考えられています。また、それよりも前の時代では、作られた年月日が多く記されている日本刀でも、ほとんどが二月と八月で、どちらかというと八月が多いそうです。それ以前では、二月と八月の量の差は、ほとんどなくなります。そして、さらにそれよりも前では、二月と八月に関係なくさまざまな月の年紀が記されています。
現代の刀工は、限られた一部の鍛冶を除けば、そのほとんどが八月には刀を作っていないと考えられています。八月のような猛暑で、さらに熱のこもる鍛冶は、ほとんどの刀工が休んでいるのです。しかし、二月や八月なのには、昔に書かれたある日記に、七月も八月も五行思想で考えると、金に当てはまりとても縁起がいいので、その時期に始めるのが良いというような内容があり、そこから発展していったのではないかと思います。