刀を多く見ても簡単に忘れる。今は簡単に刀が見られる。ところが今の人たちは簡単に見られるものだから簡単に忘れてしまう。それからもう一つ、近頃の勉強のなっていないところは、すぐ写真に撮ったり、ノートに付けたりする。これもいけない。その時は頭の中はカラッポだ。できるだけ写真を取ったりノートをつけたりするような覚え方をしないこと。頭をノートとし写真機とすることだ。覚えていなければただ写真機やノートに覚えさせたりしたようなものであって、自分のものにならない。日本刀の知識を増やすのと同時に美術全般の教養を高めることも大事です。日本刀は「記念品」という考えからの脱皮することが重要です。他に美術品を収集する人間としてもっと大切な事があるように思う。それは美術愛好家としての教養の問題である。古美術には、古書画あり、陶磁器あり、木工品、金工品、仏像など多種多様な品物がある。日本刀や鍔・小道具などの刀装具もその一つであろう。ところが刀を集めている人は、他の美術品を愛好している人に比べると、刀以外の器物についての知識は誠にお粗末な人が多い。全般的にみて美術というものについての知識や理解は他の古美術品の愛好家よりは薄いように思われる。日本刀が武器として生まれたものであるが、必ずそこには歴史というバックがあり、文化というものの中の一つである。だから全ての美術史、あるいは文化史というものを勉強しなければわかるものではないんだ。そういう点が若い人々には浸透してきて、刀の勉強もし、美術史の勉強もしようという気持ちが相当濃厚になってきているんです。それから昔は鍔、小道具などには無関心だった。それが近頃になってくるとそれらがいわゆる美術品であると考える人たちが多くなった。拵えとか鍔、小道具なんていうものは刀の中身よりも以上に刀剣の歴史以外の美術史、文化史と一致する。模様一つにしても、例えば桐の紋は桃山時代で太閤桐といわれるものがある。そういうものは染物にもつかわれるだろうけれも、鍔小道具にも同じ紋様が使われている。その紋様がわかれば桃山のものだとわかるはずです。