弁慶の大薙刀「岩融」

歴史上の架空の人物ではないかとも言われている武蔵坊弁慶が、持っていたという大薙刀「岩融(いわおとし)」は、 大変大きな薙刀であったようです。その極端すぎるほどのダイナミックさから、架空な人物であったのではないかというような人々も多くいるようです。源義経の家来であった弁慶は、比叡山の延暦寺を追い出されたような荒くれ者としての経歴をもつ人物ではあります。鎌倉時代の「吾妻鏡」にも登場するそうですが、現代においても専門家たちによって、その信憑性が問われているそうです。歌舞伎の「勧進帳」などでも、知られる義経と弁慶の美談のエピソードですが、あとの時代に尾ひれのついた脚色した形で、人々に広まったのではないかと言われています。源義経が自害したとされる短刀「今剣」も行方不明でありますが、弁慶の大薙刀「岩融」も現存しません。「岩融」は、刀身の部分だけで1メートルほどの長さがあったと言われていることから、弁慶の存在はフィクションではないかととも考えられているようです。上の人物とともに語られる、刀剣たちは、歴史上に起こった事柄の出来事を語り部として語ってくれるようです。